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【叙勲受賞の栄えに浴して】 石丸三郎先生著 編集K&K MORI

 ▼叙勲受賞の栄えに浴して(ご挨拶) 石丸三郎

 この度は、はからずも平成14年度、春の叙勲で「勲五等双光旭日章」受賞の栄に浴することができました。この栄誉もひとえに、皆様方の多年にわたるご指導とご支援の贈と深く感謝申し上げております。努力して苦労して一つの事をなしとげる。その喜びは大きいです。それにも増して嬉しいのは、その努力をほかの人に認めてもらうことです。過ぎ去った長い道のりで、いろいろなときに、いろいろな所で、心から支えていただいた数多くの方々への感謝の心を忘れず、栄誉に恥じることのないように精進していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 

*追記 平成14年6月の浩養会福山大会では、お世話いただいた方々のお陰で至福のひとときを過ごすことができました。その折、何人かの諸兄から、今回の叙勲受賞にちなんで君の教育者としての歩みを「浩養会報」に寄稿してくれとの要望がありました。おこがましい気がしますが拙稿を寄せることにしました。ご容赦をお願いします。

 ▼この道ひとすじ 歩み続けて54年6月

 思い起こせば、昭和22年4月、小学校教員を振り出しに、平成12年9月末日、教育長を退任するまで、この道一すじを走り続けて54年と6月に達しました。その間に心に残る出来事は数多くありますが格別印象深いのが、昭和59年4月から校長を務めた武雄市立武雄中学校と北方町の教育長に就任当初の5年間です。
 この二つについては、今でもほとばしるほどの思いがありますので、記述することをご容赦ください。
 昭和57・58年当時、武雄中学校は、佐賀県の荒れた中学の「西の横綱」という評判が立っていました。その頃、私は佐賀県西部の63小・中学校を管下におく杵西教育事務所に勤めていました。
 武雄中学校は管内の中心校なのです。そこの校長先生が教育事務所にきて、再三、泣いて事故報告をし、生徒の悪さを訴えられていました。
 報告を終えて帰る時、送って出る私に「石丸先生、早うあんたと替わろうで」といわれるのです。私は「とんでもない。先生のような大校長が苦労されるほどの学校に、私なんぞが行って何ができますか」とかわしたりしていました。この校長先生は武雄中学校にくる迄は、佐賀県では義務制トップの教職員課の「参事」を務めた方です。評判の大物校長でした。
 昭和59年4月、私が一番行きたくない学校「武雄中学校」へ転勤しました。

 ▼校長先生タッチ

 実は、前の年、教育事務所を飛び出していたのです。次の年は武雄中学の校長が定年で退職される。その後に、私がやらされるのはほぼ間違いない。とみてのことでした。佐賀県の人事異動方針では「校長は1年間では動かさない」となっています。それを狙ってのことでした。
 ふたを開けてみると教育事務所に入る前に勤めていた武内小学校でした。
 前に、一緒に勤めていた先生方がとても喜んで迎えてくれました。
 教育事務所に転勤する時、「校長先生は教育事務所を出られる時は、大きな学校ですよね」と寂しそうに言われていたことを忘れていませんでした。
 赴任式の朝、駐車場におり立った私の姿を目ざとく見つけた生徒たちの歓声は、今でも耳底によみがえります。取り囲む子供の輪の中には見覚えのある顔がいくつもありました。前回の校長のとき、担任の先生たちの病休・年休・出張の折は補欠授業をかって出ていました。それは年間140時間近くになっています。
 いじめの発生したクラスや指導力の落ちる先生のクラスには数を重ねました。
 児童たちとのつながりに温かみが加わり、廊下を歩くと「校長先生タッチ」と低学年の子はかけ寄っていました。その子たちが高学年となって迎えてくれたのです。
 体育の時間、ジャンケンして負けた子がオンブする遊びに、誰からも相手されない超肥満の男の子は私が相手です。おんぶして歩き出すと背中で歓声をあげたのはあの子。給食の時間、牛乳の瓶を倒して、私のと、取り替えてもらったのはあの子。あの子は前回の転勤のとき「交通安全んのお守り」をもってきてくれた。などなどの記憶がよみがえり懐かしさにひたりながら玄関まで一緒に歩きました。

 ▼夏休みの特訓
 
 武内小学校は周囲を山に囲まれた高台にあります。
 学年2クラスの小規模校です。5月、6年担任の出張10日間で学級担任を校長がかってでました。算数の授業をしてみて驚きました。
 5年生の1学期の異分母分数につまづいている子が、32名中18名もいるのです。
1/2+1/3=2/5とします。
 このクラスは5年生のときの担任教師が問題の先生でした。
 アルコール中毒が疑われる先生で、2年ごとに各小学校を回されていました。
 その先生を抱えた校長は「入院治療させよ」との至上命令を受けるのですが、実現できぬまま私との出会いとなりました。 
 彼は40代後半の独身男性です。よい面も持っています。熱心に根気強く説得を続けて夏休みから治療を受けることになりました。繰り返し見舞いを続けました。
 翌年の1月から復職しましたが見違えるように立派な先生になりました。
 新年宴会でも盃は手にせず、ジュースで通し、泣いてお礼を言ってくれました。
 入院する前の1学期終了の慰労会では「校長は俺を強制入院させる」とくだをまいてこまらせたのですが。
 話を標題にもどします。学力の基礎・基本を身につけていない生徒達を中学校に送り出すわけにはいきません。みんな、私の生徒なのですから。
 夏休み前の職員会議で、私は6年生の「特別補習」12日間を打ち出しました。
 主として校長と教務主任と6年担任でかかる。ほかの先生方も1日か2日の応援をお願いしたいと。これに対して2〜3の不協和音が出ましたが、「誰が何といってもやります」と、おしきりました。
 別に水泳の特訓10日間を設けました。4年生以上の「泳げない生徒を泳げる迄」を目標に。最終日のグループ対抗の水泳大会では全員30数名が25mを泳ぎきりました。自慢するようですが、校長の私が受け持ったグループの5人が一番先に泳げるようになりました。
 後で先生方に指導のコツを披瀝しました。
 こんな楽しい学校経営で1年間があっという間に過ぎ去りました。
 3月末、まさかという異動内示を受けて、私は武雄市の教育長に尋ねました。
 「1年校長は動かさないとなっているはずですが」と。
 その答えです。
 「あなたは前回も武内小」に勤めていたから1年じゃない」。
 唖然として言葉は出ませんでした。

 ▼荒れた中学 「西の横綱校」に赴任

 転任事例を受け、私は妻に申しました。
 「1年間、真剣に努力する。それでも治めることができなければ辞任する。」と。
4月4日の夜は、それまで勤めていた武内小学校主催の送別会でした。会が始まって挨拶をしているときに、武雄中学から呼び出されました。
 生徒たちによる暴力事件でした。処置を済まし会場に戻ったのは10時過ぎ。
会は終わり教頭先生一人残っておられました。深々と頭を下げ失礼をわびました。

 新学期最初の学校行事は春の遠足です。3年生10クラス418名は海抜400mの杉岳山上にある大聖寺でした。
 私も3年生に随行することにして、出発5分前に校長室を出て運動場に向かいました。その時、学年主任が話をしているとき、大声でわめいて37名が飛び出し別方向の「桜山公園」に行ってしまいました。
 私は出口のない、暗くて長いトンネルに入りこんだような暗澹たる思いをいだいて3年10組の後を歩きました。
 九十九折の山道を登って大聖寺につきました。この寺は歴史が古く由緒のある寺で、重要文化財指定の「不動明王」の像があります。境内には天然記念物の「槇」と銀杏の巨木が、亭々と聳え立っています。
 その前で、これらの事柄を手短に私が話をした時は、みな静かにきいてくれました。そこで問題の生徒達は皆飛び出し、残りはよい生徒達ばかりだと思いました。次に生徒指導担当の先生が諸注意を始めた途端、あちこちから、「そんなことわかっとる」「早くやめろ」との罵声が飛び交うのです。
 生徒達の教師不信の根強さに驚きました。

◎荒れた中学の日常
 ・平気で遅刻して登校し、朝自習時間に飲食しながら食べがらを机の横に捨てる。
 ・授業中に「非常ベル」をならす。
 ・消火器の液を噴出させ廊下や体育館を泡だらけにする。
 ・授業中に勝手に出入りする。(注意をすれば暴言を吐いて反抗する)
 ・授業妨害する(自分の教室だけでなく、嫌いな教師が授業をしている1年、2年の教室に出向いて妨害する)
 ・廊下にツバを吐く。(4月半ば授業を巡視中、4階の廊下に6箇所、3階の廊下に4箇所、大きな生ツバのかたまりを見つける。職員室でこのことを話す私に、上席の女教師が言われた。「校長先生、まだ良い方ですよ。3学期になったら歩かれぬように吐きますよ。」シンナーを吸飲して、その酔い覚めに胸がむかむかして出る「生ツバ」をそのまま廊下に吐く。)
 ・授業中、黒板に書いている先生の後からは、何が飛んでくるかわからない。

 こんな状態での気の優しい先生方の登校拒否が出ていました。教育の荒廃が叫ばれ始めてから20年にもなりますが、今なお学校の荒れは少なくはありません。「教師受難の時代」といわれております。しかし「学校の荒れ」は教師の指導だから、先生達が変わらなければ、学校の荒れは絶対に直るものではありません。

 ▼突っ張ってはいるけれど

 わが北方中学校も平成12年度から少し荒れだし、13年6月の町議会で、荒れが問題となりました。
 「噂ほどではないと思っていますが、議員さん方の目で確かめてください。」と言って「文教の議員」数名と出向きました。
 校長先生の案内で入った教室は、3年生の数学の授業でした。
 一番後ろの席の2人が教科書も出さず、タオルを首にかけ腕を組んで窓の外を眺めています。私は「タオルは取りなさい」と声をかけました。
 2人はジロッと睨みつけて取りません。「ホ・ホウ大分突っ張っているな」と感じました。私はこんな生徒を見ると放っておけないのです。そこで、手前の子の横の床に膝をつき「ノートを出してみんね」といいました。
 シブ、シブ出しました。問題をさせてみました。2箇所、躓いていました。丁寧に説明しました。次の問題はヒントを与えただけで解いたのです。「赤鉛筆、持っとるね。」「ハイ」と素直に答えました。
 二重丸をつけ、「ホラー、ヤレバデキル。頑張ろう」と背中をなでると、ニコッとして頭を下げタオルを取りました。
 次の子は、それを見て、あわててタオルを取りました。
 この子は、1箇所の説明で2番・3番と次々に解いたのです。
 赤鉛筆で2重丸をつけ、「すばらしい」と書いてやるとニコッとして頭を下げ、心を込めて「有難うございました」といってくれました。
 可愛いですよね。久方振りに、武雄中学の校長に戻ったような気持ちでした。武雄中学校では最初に行った教室では、突っ張り3人が机の上に足を上げていました。私の顔を見てあわてておろしました。
 教育は1人の不幸な子どもも作ってはならないのです。
 この子たち、大きな体をしていても、心はまだ幼く、もろい心が同居しています。ふてくされているのは、教師のさしのべる手を待つ、ひとつの「甘え」からきているのに、多くの先生達が「おれの授業に教科書も出さぬ。横着だ」ときめつけます。教科書をださぬのはいけないことぐらい彼等もわかっています。しかし、こうしないでおれない気持ちをわかってくれない教師に彼等は腹を立てているのです。教師のこの人間理解の乏しさが最大の問題なのです。

 ▼なぜ荒れる 荒れる原因はなにか

 「授業のわからない子が先生を一番必要としている」のに先生達は「突っ張り」達を無視していきます。無視される辛さが不満となりやがて教師不信や反感に変わり、反抗・暴力へとエスカレートしていきます。
 生徒の横道に突っ走るそもそもの原因は、授業がわからなくなり興味を失う所にあります。授業がわからないから、いろいろな形の自己主張をして問題をおこすのです。

◆荒れた中学での取り組み

私が武雄中学校で力を入れましたのは、
1番目に先生達の人間理解を深めること
2番目に「突っ張り達」に直接かかわっていくこと
3番目は生徒会を盛り立てていくこと
以上の3つでした。
 このためには、職員朝会、職員研修等の機会をとらえて、心に響く話をしていきました。ほかに「教師の広場」と題するパンフレットを毎月、全職員に届け真剣に呼びかけました。その一部を紹介いたします。
◎花には水・人には愛
 生徒達は、優しくすれば、言うことを聞かないし、かといって厳しくすれば反抗したり、いじけたりします。学級での生徒のしつけ方、育て方はなかなかむずかしいものです。
 教師はどんなことを心がければいいのでしょう。
◎心の広さ・しなやかさ
 論語に 「厩(うまや)焼けたり、子、朝より退きてのたまわく 人をそこなえりや、馬を問わず」とあります。
 中国の春秋時代、孔子さまがある国の宰相(総理大臣)をしておられた頃の話です。宰相公邸の馬小屋が火事になりました。
 知らせを受けて、朝廷から帰ってこられた孔子さまは、「けが人はなかったか」とだけ尋ねられ、馬については何も聞かれませんでした。
*教室で「ガチャン」と何かのこわれる音。
 走ってきた担任の先生の第1声「何をこわしたね」。第2声「誰がした?」がほとんどです。こわしてしまった子どもの心を察して担任の第1声が「ケガはしなかったね」となれば、子どもの心にひびき、さすがの腕白坊主もまいってしまいます。この思いやりの一言が出せる先生の心のしなやかさが生徒の心を魅了するのです。ごく些細なことで叱りつけ、叱って当然な時に叱らない。これが生徒の信頼を失うのです。

●叱るときのコツ

1、注意することと、叱ることの区別をせよ。
 軽い注意で済ましてよいことまで叱ってしまう先生や褒めることはなく叱ってばかりの先生からは、生徒が離れていく。
2、生徒は叱っても、恥をかかせるな。
  見せしめ、懲らしめの叱り方はしてはならない。
  プライドを傷つけるような叱り方をはしてはならない。そんな叱り方は、恨まれたり反発されたりする。
 イ・問題点を指摘する
 ロ・注意を喚起する。
 ハ・失敗にめげす、むしろ、それを大いなる跳躍台として生かすように励ます。
3、大勢の中で個人を叱るな。職員室は褒めるところ。
 イ・叱るときは1対1で、誰も見ていないところで。周りに人のいるときは叱ってはいけない。
 ロ・見せしめ、懲らしめの叱り方は、愚の骨頂。
 ハ・大勢の中で叱れば、恨みを残す。
4、熱い言葉で叱れ。
 イ・本気で厳しく真心で叱れ。
 ロ・長々とねちねちと叱るな。
5、追いつめる迄叱るな。
 イ・逃げ道を残しておく。叱責は七部にとどめよ(黒田如水)
 ロ・古傷までえぐるな。これまでのことを並べたてて叱るな。
6、他人と比較して叱るな。
 他の子供のよいところを取り上げて、その子の悪さを責め立てない。
7、公平を忘れずに叱れ。
 ほかにもいたのに私だけ叱られた。これでは子どもは納得しない。
8、叱るときは、その子の良さを1つ添えよ。 
 これが厳しさの中の優しさとなり子どもは素直に受け入れる。
 愛情のない冷たい叱り方をしていると反抗してくる。
*叱る目的は何か
 生徒の心がよい方向を向くように、そして2度と間違いを起こさなぬようにです。ところが叱られて職員室を出て行く生徒が「ツクショー」とか「エークソ」といっています。叱って反感をもたれるようでは、何のために叱ったのかわからなくなります。
◎生徒理解に対する姿勢の確認
「教育」とは毎日、子供のよいところを見つけ出すことなり
 生徒それぞれの性格や行動を含めた特徴を“よさ”の面で見い出しそれを育て伸ばしていこう。そのためには、個々の生徒が持っているそれぞれの“よさ”に目をつける。という指導方針を確認し、一致して生徒指導にあたる。
 どんな子も良さを持っています。先生に問題の子の良さが見えてくるとその子は心を開いてきます。そこに信頼が生まれ教育が成り立ちます。
 その「良さ」を認めて、素直に褒めてやること。褒めれば向こうが近づいてきてくれる。褒めると先生の心も明るくなり、生徒の顔もほころびる。ホノボノとした人間関係です。
教育の秘訣は、生徒を尊重することにあり(エマーソン)
 “学校の荒れ”は教師の指導(授業のあり方・厳しく冷たい生徒指導)への不満の噴出。だから教師が変わらなければ治るものではありません。
 生徒の話をよく聞いてやること。あらさがしをしてはいけない。短所ばかりをつついてはいけない。長所を探し、認めて褒めることが大事。そのことによって長所がますます伸び短所が消えていく。

 ▼突っ張りたちに直接かかわっていく 数学のチームティーチング

 3年生の数学の授業には、できるだけ出向いて、突っ張り達の勉強を見てやりました。
 教えたりぬ子は昼休みに校長室に呼びました。
 一番最初に出かけた「3年8組」では、授業中に、突っ張り4人が机の上に足を上げていました。突然校長が入ってきたので、ガタ・ガタ・ガタンと足をおろしたのです。ボスと見られる子の側に行き「教科書ぐらい出すのが礼儀だよ」というと「ハイ、忘れてきました」といいました。はじめから手ぶらできているのです。
 遅刻して登校し、買ってきたパンとジュースを朝自習時間に飲み食いし、食べがら包装紙を机の横に捨てていました。私がゴミを拾い片付けるのをだまって見ているのです。
 数学の先生方も校長が教室に来て大変だろうとは思いました。
 しかし、私がいると授業妨害だけはしないからなどと自分本位に考えていました。中には実際「校長先生にきていただくと安心して授業ができる」という方もいらっしゃいました。
 夏休み前のある日、3年生担当の先生方が、校長室で「夏休み対策」の話し合いをもたれました。その頃、私は突っ張り達の夏休み中の勉強会の資料づくりに専念していました。突っ張りのほとんどが、小学校4年の小数と5年1学期の分数につまずいていました。1/2+1/3=2/5とするのです。
 これでは中学3年の数学の「二次方程式」・「因数分解」などわかるはずがありません。数学の授業は辛かったろう。固いイスを温めるだけの時間は長かったろうと同情しました。
 従って「教材づくり」は細心の注意を払いました。小学校4年生から中学校3年1学期迄、53段階のスモール・ステップの問題です。
 ガリ版用の原紙を53枚きり、80枚ずつ刷って貰いました。
 あまりにも量が多いので私が恐縮すると女性の「用務員」さんが、いわれました。「校長先生。学校をよくなすためのお手伝いができてうれしいんですよ」と。私は感激いたしました。この方とは今でも年賀状をやり取りしています。
 その教材の山を見て先生方は驚かれました。
 「突っ張り達の勉強会を夏休みに18日間したいと思います。自分のクラスの突っ張り達に明日の昼休みに、校長室に申し込みに行けといってください。」と頼みました。先生方は口を揃えて「あの子たちが来るわけがありません」といわれました。先生方は校長の私が突っ張り達の勉強を見てやっていることを知らずにおられたようでした。
 翌日の昼休み、きました。きました。きてくれました。16人です。突っ張り達が次ぎ次ぎ職員室を通って校長室に入っていくので先生方は驚いていました。
 実は、この子たちに、昼休みに校長室に勉強にくる時は職員室を通ってきなさいといっていたのです。それ迄は校長室は生徒を叱る場所になっていたのです。生徒が校長室に入っている姿を見た人が、またあれは悪いことをして校長室に呼ばれていると見るからです。
 こなかった4人には手紙を出しました。すぐ答えてくれました。担任の先生が言い忘れておられたようでした。
 手紙には夏休みの行事一覧表に勉強会のできる日に丸をつけて添えました。
 勉強会は午前中に来る人は10時から12時までの間に、午後から来る人は15時から17時までの間にきなさい。第3理科室が風通しがよいから、そこで待っています。校長が指導するから、みんな10時に来いじゃありません。突っ張り達は夜ふかしです。これくらいのゆとりと幅がなければ彼等の心はつかめません。
 12時近くに来た子は1時まで、5時に来た子は6時迄見てやるのです。遅れて来た子はより暖かく迎え、一層熱心に教えます。
 仲間もすむまでつき合ってくれます。
 先生方も一人、二人と応援の手をのばしていただきました。

 ▼勉強会の余滴

 勉強会にくる生徒達の服装は、はじめのうちは、あきれるほどでした。勇ましい先生たちは、職員室で「校長が指導しながらあんな服装をさせて、2学期からの生徒指導がやりにくくなる」となげいていたそうです。そのことを用務員さんが知らせてくれました。
 そこで私は話しました。「先生達はわかっていないのです。《お前の服装は駄目じゃないか》と注意したら、明日から出てこなくなります。“角を矯めて牛を殺す”ようなものです。あの服装は突っ張っている心がさせているのです。その心がおだやかになれば、自分からなおしますよ。もうしばらく待ってください。」服装については一言も注意せず数日できちんとなりました。
 問題はスモール・ステップです。それにその子がつまずいているところからの出発です。ぐんぐん伸びていいきます。ほとんどが11時頃きていたのが3日目あたりから10時前に来て「私は何段階だ」と競争して勉強するようになりました。
 わからぬ時は、すぐ私の左側に腰掛けさせて、ていねいに説明してやります。時には背を撫でて褒めてやります。膝と膝がふれて体温が伝わったりします。彼らの心が素直に、おだやかになっていくのがよくわかりました。
 段階の問題を全部済ますと「通過テスト」があります。
 B5の用紙に5問題です。正答4問以上が通過できます。
 全問正解には二重丸を5つに100点とつけ“すばらしい”と書いてやります。
ニッコリ笑って「母ちゃんに見せんば」と答案用紙を丁寧に折りたたんで胸のポケットに入れるのです。見ている校長の顔もほころびます。大きな体をしていても、まだ幼ごころが残っています。ホノボノとした人間同士。

 ▼西瓜会

 勉強会の最終日は、全員午後から来てもらって“西瓜会”をしました。
 食べながらいろんな話を聞かせてくれました。その中で誰というとなく出てきたのが「これだけ校長先生におせわになったんだから、2学期から、おどんも校長先生に協力しゅうで」皆が「ウン」「ウン」とうなずき合いました。
 こんなありがたいお言葉を頂戴したのです。協力の意味がわからないままお礼を言いました。
 2学期が始まりました。廊下に「ツバ」が吐かれなくなりました。校地・屋上等のタバコの吸がらが少なくなりました。
 校内が本当に静かになりました。先生方から「授業がしやすくなった」という声が出ました。C先生の話です。今日の4時間目3年○組である生徒が授業妨害しようとした。そのときK君が立ち上がって「やめろ。1学期と違うぞ」と一声で抑えてくれたのです。
 9月のある日、前校長が学校に見えられました。あいにく私は出張していました。校内が全く静かになり、廊下をうろつく生徒もなく、整然と授業が行われている様子をみて驚かれたとのこと。たまたま職員室におられた上席女教師に「こんなに静かになったのか。私が1年早く退職しなければならなかった」といわれたとのことでした。
 夕方5時になると私は部活動の訪問を絶やしませんでした。私にとって一般の生徒と触れ合う最良の機会です。
 指導の先生の労をねぎらい、生徒達の上達を認め、優れた技に感心し、マナーの良さを褒め、その努力を励ます。野球やソフトボール部の玉拾いをしてやり、見学者に声をかけ、話しを聞く。時には相撲部の生徒の緩んだ褌を締めなおしてやる。こんな間にもあちこちに突っ張り達の姿を見つけ肩をたたいて努力を賞揚する。心温まる一刻。
 これが私の一日の職務の締めくくりでした。
 先生達を手こずらせる生徒たちは、ある面からは実にバイタリテイのある生徒です。機会と動機があれば、導き方次第では、彼らの問題行動を起こすエネルギーは、すばらしいものに変換されていくものです。
 夏休み以降、運動面や文化面での活躍が目立ち、自慢をするようですが、卒業式に優勝旗が11本並びました。
 義務教育9年間の総決算といわれる県立高校の入学試験では、前年度より104名、合格者が増えました。
 これらのことがらどれひとつをとっても、校長一人ではできません。
 勉強会にしても、心ある先生方の応援を受けました。私が突っ張り達の指導に専念できたのも教頭先生・教務主任の先生の理解と協力があったればこそです。
 
《次からは回顧談になります。私がどうして突っ張り達に直接かかわっていくことができたかを記します。》

 ▼手におえない生徒に感謝

 手に負えない子との出会いは、担任教師や学校に困惑と苦悩を生み出します。
 それは教師に自己反省と自己改革を迫ってきます。
 学級担任をしていると、時々「手こずる子」や「手に負えない子」との出会いがあるものです。この子さえいなければ授業も学級経営も楽なんだけど。という子が。どんな授業、どんな指導をしても黙って素直についてきてくれる扱いやすい「よい子」だけなら特別な教師の実力や努力も必要ではありません。

 ▼学級編成

私が若い頃、勤めていた武雄中学校は1学年14クラスのマンモス校でした。
 前年度は1年担任だった私が、新年度は3年担任となり生徒指導を命じられました。新3年は問題の学年でした。
 春休みの最初の学年会議に、生徒達の「集団万引き」で警察へ行き出席できませんでした。学年会議は学級編成作業です。
 生徒全員の2年生での「成績カード」を点数順に並べて組み分けをするのです。そして、あらかじめ抜き出していた問題をかかえた生徒達を分散配置します。
 その後「くじ引き」で担任する学級を決めるのです。
 「くじ引き」は学年主任が変わって引いてくれていました。
 それはよかったのですが、クラス全員の個人別成績カードは職員室の私の机の上に置かれていました。

 ▼悪童連との出会い

 新学期が始まって間もなく、私のクラス「5組」に授業にでた学年主任が色をなして言いました。
「分散配置したはずの問題の生徒が、5組ばかりに5人も集まっている」「石丸先生、あなたは差し操られている。学級編成をやり直そう」
この言葉に、私の心は大分動きました。しかし「突っ張りたち」からすれば「猫の子」を移すように移されたらたまらないでしょう。「お気持ちは有難いのですが、これも何かの縁でしょう。とにかく頑張ってみます。」それからが大変でした。
生徒指導の担当でありながら私のクラスが一番悪いのです。
授業態度は悪く、二〜三の教科担任には反発し反抗します。問題が発生したら私の生徒が、かかわっていないことはないのです。各方面からの「5組が悪い」の声に気がめいり、世間が暗く見えました。そこで私は、授業のない空き時間には、私の学級の授業参観を続けました。
この時期に翻然とすることがありました。
 家庭訪問の時、母親から頼まれたことを問題の子に話しました。その時、彼が行ったのです。「わからぬ授業をじっとして聞く辛さを先生達は考えたことあるとですか」このことばは、私の胸を刺しました。

 ▼問題生徒とどう付き合うか

○何のためにお前は授業参観しているのだ。
○お前がしているのは、生徒に「にらみ」をきかせているだけじゃないか。
○教師の権威で、力でねじ伏せようとしている。それで生徒がよくなるか?
○反抗を受け止めるだけの心の広さが必要なのとちがうか?
○授業態度が悪かったと聞けば、わけも聞かずに頭ごなしに叱る。
○命令・禁止語ばかりで生徒が素直になると思っているのか?
◎どうして悩んでいる生徒の心に触れようとしないのだ。
 それから中学生の心理を勉強するように心がけました。放課後や長期の休業中に、私の免許教科の数学・理科だけでなく英語も彼らと一緒に勉強しました。

 ▼手こずった生徒たちに感謝

 2学期になると教科担任の先生達から、授業がしやすくなったと聞くようになりました。掃除の時間はスッポかしてばかりだったのが雑巾を握るようになったのです。後にこの体験が「荒れた中学の西の横綱」といわれた武雄中学に校長として赴任して大変役に立ちました。
 私を鍛えのばしてくれた悪童達に今では感謝をしています。

 ▼3番目は生徒会をもり立てていくこと

 荒れた学校では、一にぎりの暴力生徒がのさぼり、一般の生徒達は教師よりも暴力生徒を恐れ教師の指導に従いません。
 子供のために学校があり、学校は子供が生活をする場でもあります。
そこには集団の規律がなければなりません。私は生徒と生徒会に機会をとらえて繰り返し呼びかけました。
 「思いやりがあり規律のある学校を目指して、武中を正義の通る怖くない学校に作り変えよう」というのが、現下喫緊の課題でした。
 その手立てとして「場を清め、時を守り、礼を正しく規則を遵守しよう」というのでした。生徒会長はこれを「生徒会の実践目標」に取り上げてくれました。
 自由と放縦を取り違え、とかく規律の重要性を忘れ、子供の問題行動に対してあまりにも許容的、黙認的、放任的であるところに、校内暴力を生み出す大きな根源があります。先生方に求めたことです。
 「生徒の悪に対しては教師に、正面切って対決する決意がなくして、校内に正義の確立はできません」と。
 ひとりひとりの教師が腹をくくって、規律を重視した指導をするには教師集団の団結と連帯が必要。生徒に注意をしている先生を見たら必ずかけつけ様子を見守るというような教師集団の結束と意気込みが生徒達の信頼を勝ち取るのです。これまで教師に言ってもどうにもならないという無気力感や諦めの風潮が校内にあったのが払拭され、生徒会の役員達にヤル気が湧いてきました。
 建設的な行事計画を打ち出してくれました。
 生徒会が主催する文化祭、体育祭、早朝の挨拶運動、校内の落書き消し、便所の扉や校舎の壁の補修、体育祭や文化祭前の大掃除等。校長も教頭も率先して参加し生徒会役員の指導に従いました。それに加え、その企画と運営のよさを賞賛しました。

 ▼いじめ追放への取り組み

 学校が荒れ、先生方が「突っ張り達」の問題行動対策に忙殺されていた頃は気がつかなかったことです。2学期になり学校の荒れがおさまるといじめの問題が取り沙汰されるようになりました。
 ちょうどその頃(昭和60年)、東京都の中野区、富士見中学校でむごい「いじめ」にあった、2年生の鹿川裕史君が「これじゃ、毎日が生き地獄だ」と書き残して自殺しました。いじめの「葬式ごっこ」に、線香をあげた先生もいたことで、非難の声が巻き起こりました。
 鹿川君の自殺の判決で、裁判官は教師の鈍感さに対して、痛烈ともいえる批判を展開しています。子供たちの教師への信頼は、先生が子供の内心の苦しみを自分の苦しみとして、どこまで受け止めることができるか、それに尽きるといっています。
《調査の結果》
・1学期の6月のある日、担任の女教師は鹿川君の顔に生傷があるのを見つけたこともあった。それをいじめの暴力とは思わなかった。鹿川君が「たいしたことはない」といったので。
・夏休みに便所で、同級生の3人組から土下座させられ蹴られているのを見た生徒が、上級生を含めて数人(7月)
・一方的な暴力が2学期になって月ごとにエスカレートしていたことがわかった。自殺前の14日には、顔をはらして、泣きながら帰宅しているのを見た生徒は何人もいた。
 警察の取調べに、暴行を加え続けた3人組の同級生は口を揃えて言いました。
「勉強もスポーツも良くできて、友達も多い鹿川君がうとましかった」
 当時私が校長として先生方へ「教育の広場」、生徒達へ「青雲」と題して呼びかけた資料を紹介いたします。
 機会をとらえて私は先生方に“いじめ”がわかったら、自分の子供が、自分の弟や妹がこんなにいじめられたら、担任や学校に対してどのように対処して欲しいかと考えること、そこがいじめ対処の原点ですといい続けました。

 ▼教育の広場 12号 いじめ対策

   学校なんて大嫌い。皆で命をけずるから。
   先生なんてもっと嫌い。弱った心を踏みにじるから


 日記の最後にこれを記して、深夜に家をぬけだした中2の女の子は、日本海に突き出た御崎の突端から身を投じました。
 長期にわたるむごい“いじめ”に耐えられなくなり、自殺の前日、担任教師に訴えました。担任からは短所を指摘され「お前も反省してみろ」といわれ絶望したのです。わらをもすがる思いで出かけたのに、決定的に先生が信頼できないと感じたとき、命綱が断ち切られる思いを抱いたのでしょう。
 “いじめ”を生徒自身に訴えてくる時は、もう限界に達していることを教師や親は忘れてはなりません。

 ▼なぜ先生に“いじめ”を知らせてくれないのか

それは、学校や先生に対する不信感が原因です。
 10数年も前から、毎年、毎年、“いじめ”で自殺する子供の数は、10名を下りません。そのため“いじめ”根絶を期して指導の充実が叫ばれています。
 学校によっては「先生に申し出るように」と繰り返し呼びかけています。しかし、子供たちはなかなか応じてくれないのが実態です。そこで、教師の中から、本校の生徒は勇気がないとか、正義感が欠けている
などと責任を生徒に転嫁する声が出てきます。

申出を躊躇させる要因

・先生に言えば、さらにはげしくいじめられる恐れがあること。
・いじめを何人もが知ってはいるが、教師に告げると、今度は自分がいじめられる危険があること。
・不正をゆるさぬという正義感が希薄で自分には関係ないという考え方をする。

もっとも大きな要因は、
教師に言ってもどうにもならないという無力感や諦めの風潮が校内にあることです。それは、学校に対する生徒の不満の表現であり、教師に対する不信感が底流にあることとを見逃してはなりません。

 ▼生徒の信頼をどうしてかちとるか

“いじめ”に対する教師団の断固たる態度と強いリーダーシップ。そして、その継続性

・“いじめ”の現場の多くは、ほかならぬ学校にある。
・その時間帯は、昼休みか放課後におこっている。

であれば、把握するための対策は、教師団のヤル気さえあればおのずから、生じてきます。要は早期発見・即時対応です。
被害・加害の事実を発見したらすかさず、指導の手をうつことです。

 ▼自殺した子供達の学校

事件を起こした学校の対処はあまりにも手ぬるいと思うことばかりです。
長期にわたるむごいいじめを知らなかったとか、父母の訴えに、そのうち何とかしようと思っていたとかが、ほとんどです。
 自分の子が発熱して苦しんでいるのに、看病は明日にしようというような悠長な対応で、どうして子供の信頼が得られましょう。
 学級担任は第2の親とまでいわれています。
しかし、日本人は冷たくなった・・・・大人も子供も。
それだけではありません。正義感覚も、モラル感覚も失ってきています。
鹿川君の友達は、同級生は何をしていたのでしょう。
 3人組の暴行を止めることができないなら、担任へ、学校へ、それも駄目なら、親と相談して警察へ知らせて欲しかった。
 葬儀に参列して、涙を流している顔をテレビで見て、強くそれを感じたのです。
担任の先生は、学級の中でただ一人の大人です。
そして子供を導く立場にある担任の役割はきわめて大きいです。
注意深く、クラスに目を注いでいれば、いじめに気がつきます。
長期にわたるいじめを知らなかった担任は、教師として失格と言われても仕方がないと思われます。人間として許せない「いじめ」は、絶対見逃してはならないのです。
深刻ないじめを解決するのは、子供の力では無理です。
教師の働きかけが最も必要です。

 ▼「青雲12号 生徒諸君へ 校長石丸三郎」

皆さん、わが校からいじめをなくそう。
《赴任以来、私は1200名の生徒達に「青雲」と題して、毎月、便りを出していました。鹿川君の自殺を知って、全校朝会で私自身がいじめにあった話しをし、「青雲」でも、生徒ひとり一人に訴えました。以下、原文のままです。》
“私は、武中生、1200名のみんなが、朝起きて元気よく登校してくる学校、夕方、みたされた思いを抱いて校門を出ていくことのできる学校”を、つくりたいのです。
それには、皆さん方の協力が必要です。
・皆さん方、ひとり一人にお願いです。
今、いじめられている人を知っていたら、
  ・電話でもいい  ・走り書きでもいい  ・話に来てくれてもいい
担任の先生か、私に教えてください。
そ・れ・が『あなたのつとめ』です。
武中を正義の通る、怖くない学校にしましょう。
・今、いじめている人に言います。
今すぐ止めなさい。
君が、あなたが、していることは、人間として絶対に許されぬことであり、最も恥ずかしいことです。
・今、いじめられている人にお願いです。
いじめられることは、決して恥ずかしいことではありません。
いじめのつらさはよくわかります。私も、いじめられたことがあるから。
どんな方法でもいい。私に知らせてください。
私の電話番号は、****−**−****です。”
これには、生徒達もこたえてくれました。
10日ほどで、本人の通報4件、同級生からの通報が7件ありました。

 ▼生徒たちはどんな方法で知らせてくれたか

@小さく折たたんだ紙片を私の手に素早く押し込む 2件
 イ 1件は廊下から職員室にさっと入り私の手におしつけ、駆け去る。(昼休み)
 ロ 1件は放課後校内巡視中の3階の廊下で。
A手紙を靴箱の私の靴の中に
B深夜、拙宅に電話で本人が。
Cクラスメイトの通報7件。昼休みに校長室を訪ねて、電話で、手紙で
D私自身が発見したもの2件
 イ 1件は放課後、校内巡視中、2階の廊下で、しょんぼり立っている中2男、よく見たら背中と太股に靴跡がついていた。
 ロ 昼休みにタバコを自分の金で買いに行かされていた。

 ▼その対応

学年10クラスの大規模校なので全校の体制のほかに学年別の実践体制を重視して、単なる表面的な指導におわらぬようにしました。苦しんでいる子を守り支えてくれる者を2から3人つけて見守り続けました。

 ▼校長個人の対応

上に立つものがわが身を動かして実践しなければ人を指導することはできない。
 無言の実践はどんな訓示よりも雄弁である。
 これが真の教育である。
 いじめの存在を学級担任や学年の組織と全校組織のいじめ対策委員会に知らせ、直に取り組んでもらうことで充分とはいえません。

 ▼いじめていた子からの手紙

<いじめのむごさを教えられて>
 石丸先生、お元気でお過ごしでしょうか。僕は、石丸先生が去年まで校長先生をしておられた武雄中学校の生徒です。
 僕は去年、武雄中学校に入学しました。入学した時に一番驚いたのは、武雄中学校に落ち着いたおだやかな雰囲気があったことです。
 僕が小学校5年生の時には、武雄中学校のことが新聞におりました。
 それが2年ほどでもとの武雄中学校にもどっていたのにとてもおどろいたのです。それには石丸三郎先生のただならぬ努力があったことだろうと思います。自分が被害をうけたこともあったでしょう。
 それにも負けず、立て直すことに頑張られた校長先生は、本当に尊敬するばかりでした。
 また社会問題として重視されている「いじめ」をなくすために、校長先生は自ら武雄中学校全クラスを訪問され、うったえられました。
 僕達のクラスを訪問された時、僕と他の数人が、ある人をいじめているということを知り、一生懸命僕達にうったえられました。
 僕はその時、校長先生の訴えを聞いてはじめて「いじめられている人の気持」というものを知りました。もし、校長先生の訴えがなかったら、僕達はまだその人をいじめ続けていたでしょう。
 校長先生のうったえで、僕はその時から、他人の心を思いやることのできる人間になろうと努力しています。先生の全クラス訪問という必死のいじめ対策は、多くの武雄中学校の生徒の心を動かし、ついには「いじめ追放宣言」ができあがりました。そして、武雄中学校生徒全員が、いじめ追放に力をつくすようになりました。これは先生が必死に努力された結果です。
 僕は入学してからこの1年間、校長先生と共に武雄中学校で生活できたことを心から嬉しく思います。
 僕は石丸校長先生こそ、本当の校長先生だったと思います。
 それは今まで書いてきたことや、またゴミなどが散らかっていると、自らひろってまわられました。僕はその姿をみて、すばらしい校長先生のおられる中学校に通うことができたことを、ほこりに思いました。
 「石丸校長先生が、校長をやめられるということを聞いた時、僕はとても悲しかったけど、それと同時に、武雄中学校を立て直され、いじめ追放に頑張られた校長先生に対して、心からはく手を送りたい気持ちになりました」。石丸校長先生が校長をやめられたことにより、僕は心から、石丸校長先生の尊さを知り、また僕も大人になったら、石丸校長先生のように他人の心を思いやり、何にでも負けず立ち向かうようなすばらしい人になりたいと思いました。
 石丸校長先生、校長先生のことは、これからもずっと忘れません。
 どうぞ、ぉ元気でお過ごしください。さようなら。

 ▼「いじめ追放宣言」の反響

 (いじめ追放宣言が)地元新聞の社会面トップ記事となった結果、大きな反響を呼びました。次の日には全国紙にも取り上げられ、電話の対応に追われました。3つのテレビ局から取材班がおしかけ大変なさわぎでした。
 これらのことによって職員の学級経営、生徒指導に対する姿勢が変わってきました。生徒会の役員がヤル気を起こし、意欲的に活動するようになりました。
 校内の気分が一新し、おだやかな空気がただよい、いじめ追放への意識が高まりました。私の目ざす「思いやりがあって規律のある学校」へ進みはじめました。とにかく、校長には「良い学校」をつくる重責が双肩にかかっていることを忘れてはならないのです。
・若手教師団からの要請
 「いじめ追放宣言」から数日たったある朝の職員打ち合わせ会のことです。珍しく若手教師の代表が発言しました。
 今まで「いじめ」に関して、あまり真剣に取り組んでこなかった。いじめの実態を知り、また生徒会が立ち上がった今、これではいけないと思う。いじめに対処する力量を高めたいのでどうか「研修会」を持っていただきたい。それに校長先生が毎月出されている「教育の広場」でも取り上げていただきたい。(後ほど、これに応えて作成した「教育の広場」を抜粋して「投稿」します。)

 ▼親がわが子を安心して預けられる学校に

・理性のブレーキ
 人間が人間として生きていくために一番大切な「理性のブレーキ」を人は成長の過程で学ばなければならない。それを教え込むのが家庭と学校の基本的な役割です。このためには、教師も親も人権感覚を研ぎすまし、日頃から子供達の人間関係に目を配って、日常生活の中で「言ってはならぬことは言ってはならぬ。してはならぬことはしてはならぬ」としつけることなのです。しかし各地でいじめにあう子供たちからは、“先生が真剣に対応してくれない”との声がしばしば聞かれます。このことに関しては後日ではあるが私も実感したことがありました。余談になりますが、私は町の教育長時代の15年間、歩いて出勤し、帰りは回り道を歩いて中学校の裏を通りました。朝は子供たちの登校の集団の後を歩きました。その結果、毎年3〜4件のいじめを発見し、学校に通報するだけでなく、時には学校に乗り込みました。次に「教師が真剣に対応してくれない」事例のひとつを記します。
・余談
 ある朝のことです。登校する子供たちと一緒に歩く、私の耳に「母子の争う声」が入りました。ふり返ると母親が中1の息子の手を引きずっています。
 近づかれるのを待って声をかけました。「何事かあったのですか?」
 母親は私の顔を見て大粒の涙を流して言われました。「いじめです。ひと月ほど前からです。担任の先生に相談に行きました。思わしくないので、家庭訪問の時再度頼み込みましたがこんな風です。今朝は隣家との間に座り込んでいましたのを引きずり出して学校に連れて行ってるところです」と跡切れ跡切れに訴えられました。
 「そうですか。ご心痛をかけてごめんなさい。一緒に中学校に行きましょう」校長室で校長・教頭に事情を話しました。校長はすぐ担任を呼んで指導の実際を尋ねました。担任は言いました。「1回は指導したとですよ。あいどん。この子がおとなし過ぎるからです。いじめられるのは」私は唖然としました。
 校長も教頭も黙っていますので私は言いました。
 「あなたは今、聞き捨てならぬことを言った。いじめが1回注意したぐらいでおさまると思っているのか。また、おとなしい子はいじめられてもしょうがないというのか」「おとなしい子でも、体の弱い子でも、勉強の遅れた子でも、まともに人間として扱われるよい学級をつくる責任が担任にはあるのを忘れている」「良い学級をつくるには、担任が常に生徒間の人間関係に心を配り、強い子、おとなしい子を引き上げて支えてやることだ」
 こんな担任ではどうにもならないので、校長の梃入れを頼み、教頭に直接の支援を頼む。毎朝、教室に出向き「A君、来ているね。みんなA君を頼むぞ」と声をかけてくれと。
A君は下校をするとき、教頭先生をたずねて一日のようすを報告しなさい。
 十日ほどたって教頭さんが報告にこられました。いじめを学級の問題として担任まかせにするのではなく、全校の問題として、全職員がA君を見守るようにした。
 教頭の私も、毎朝、様子を見に行って、声をかけている。A君が明るくなって登校も早くなってきた。とのこと。
 ・先生方へ いじめに対する積極的な姿勢を
校長には「良い学校」を、学年担任には「良い学級」をつくる直接の責任があります。そこでお願いです。
1 早期発見 高いアンテナ(高感度)を張って、生徒の中に入り込んで情報キャッチに努めることです。先生が知る努力をしなければ「いじめ」が簡単にわかるわけがありません。いじめが行われるのは昼休みと放課後が最も多いのです。
2 小さな暴力を見逃さないこと。これを見逃していたら次第にエスカレートしていきます。非行と暴力に対しては、はっきりとけじめをつけることです。“してはならぬことはしてはならぬ”と厳しく指導をしてください。暴力が横行する学級にしてはならぬのです。
3 生徒たちがグループをつくること自体はいいけれど、そのグループが他を排斥する行動をとる時は気をつけることです。
4 生徒たちの普段の生活をよく観察して
  ・弱い子を支援し味方になり、強い子をたしなめること
  ・かくれた子を引き出し、出過すぎる子をおさえること。
5 いじめを支える学級風にメスをいれること
  先生は学級でただ一人の大人です。深刻ないじめを解決するのは子供の力では無理です。教師が腹をすえて敢然と働きかけねば。
6 「教育は人なり」といわれているように学校教育における教師の果たす役割は大きいです。どんな立派な施設、設備が整っていても、どのように優れた教育計画が作成されていても、子どもとの直接的な接点を持ち、日々教育活動を行っている教職員がいなければ子どもは良くなりません。
 子どもの学校生活の大半は教科書の時間であり、その指導にあたる教師の人間性、専門性などが子どもに強い影響を与えるからです。
*記述はさかのぼります。
 前述の職員組合で発言した若手教師に、終了後出かけていって、私はお礼を言いました。顔をほころばせた彼のことばです。
 「校長先生の“教育の広場17号”には感銘したものですから・・・・・・・」

 ▼またなぜ学級運営か

*夏休み以降の生徒の心の動き

 先日の職員朝会で私は、つぎのような話とお願いをしました。それを、もう一度、ここに記します。
・・・・・近頃、私が非常に気になっていることがあります。器物破壊の暴力が振るわれた跡があることです。ここ一年間絶えていたことが、便所の扉や目立たぬところに見られます。また、2年生の言動がふてぶてしくなってきていることです。
 女先生の注意など、何処吹く風、と受け流しているのも見受けました。これをただ力だけで押さえ込もうとすると、ますます反対方向に流れ、生徒間暴力、対教師暴力へとエスカレートしていきます。こうなすのは教師の負けです。教師の権威で一方的に押さえ込もうとした、策の無さからと私は思います。
 「先生方、今のうちに、なぜこうなってきているかを考えましょう。」
 次に今から申し上げることは、「先輩からの一言」と思ってきいてください。
1・学級経営で悩んでいられる先生は、広い範囲で学年主任さんやベテランの先生に相談してください。すばらしい指導を受ける場合がありますよ。
2・ある先生はクラスの全生徒に毎日、声をかけることにしています。どうしてもできなかった生徒には、夜、電話で話しかけられています。
3・母子家庭で母親は夜の勤め、朝起きることができない。それで中学生の息子は遅刻常習者、担任の先生その生徒に、モーニングコールを続けています。
4・全体には厳しく指導しても、個人対応は優しく心にひびく指導を。
それから、叱り方 これが大事です。
決して「見せしめ」「こらしめ」の叱り方をしてはいけません。愛情の無い冷たい叱り方をしていると反抗してきます。
叱る目的は何か。
生徒の心がよい方向に向くように、そして2度と同じ間違いを起こさぬように。です。
ところが叱られて職員室を出て行く生徒が「ツクショウ」とか「エークソ」といっています。叱って反感をもたれるようでは、何のために叱ったのかわからなくなります。厳しく叱っても「僕のこと考えてくいとんさー」と思わせる叱り方をしなければできません。叱り方、あたりも学年会で取り上げて研修していただきたいと思います。時間がありませんので後は「教育の広場」でお伝えします。
 つい先日のことです。職員室で叱られて出て行く生徒を見つけました。シューズのかかとを踏み潰し、右肩をそびやかしています。「オーイ、○○、ちょっときなさい。」「シューズをきれいにはきなさい」。と声をかけてしまったのです。この子は夏休みに私が14日間数学を見てやった突っ張りグループの一人なのです。素直にシューズをはきなおしました。校長室に連れて行って、肩に手をかけて「何ばしたかい」というと「ウッ」といって、涙をぽろぽろこぼしますのでしばらく待っていました。これが突っ張りの姿です。
 大きな体をしていても、彼らの心は幼く もろい心が同居しているのです。
 ふてくされているのは、教師のさしのべる手を待つ、ひとつの甘えからきているのに、彼らが問題を起こすと、すぐ教師は犯人取調べのような尋問口調で迫り、長々と説教を繰り返しがちです。
 いけないことぐらい彼等も知っています。しかしやめられないのです。
 それをわかってくれない教師に、彼らは腹を立てているのです。この不満はやがて教師不信や反感に変わり、反抗、暴力行為へと、エスカレートしていきます。
 ルソーがその教育論で、13歳から15歳までの時期は「生涯でただ一度の短いしかも特異な時代」であると指摘しています。
 人生の最も純粋で感じやすいこの時代の思い出は、強烈であり生涯消えることが無いものになるのではないかと思います。
 そのために教師は、授業の中で、ふとしたふれあいの場で、生徒の心にひびき生徒の心に食い込む教育をしなければいけないと思います。
○上記の生徒○○は、厳しく叱られていたから、私の呼びかけで、涙を流したのです。
○集団に対する厳しさがあってこそ、個人に対するやさしさが生きてくるのです。
○「教育の広場18号」は「破壊的リーダーシップに建設的リーダーシップ」という題でソニー株式会社参与の小林茂氏の講和を紹介します。
 「人間理解の深く豊かな講師になろう」
 前年度は2学期当初から「学校の荒れ」がおさまり、運動面でも文化面でも飛躍的に向上したのに、次年度はまた1学期末からおかしくなり始めました。これには原因があるのです。
 年度末には教職員の人事異動があります。そこで私は市の教育長に頼み込みました。「来年度もこのままの体制でいきたいのですがそういうわけにもいかないでしょうから、人事異動は最小限にとどめてください。」
 例年6から7名の異動はあっていましてので3から4名くらいかなと考えていたのです。蓋を開けてみると13名でした。本当に腹が立ちました。
 それも中心的な働きをする先生方を何人もです、“荒れ”を引き起こす原因である教師の権威で、力でねじ伏せようとする先生たちの意識を1年かかってやっと変えたのです。先生達が変わったから生徒達も良くなってきたのです。
 “学校の荒れ”は教師の指導(授業のあり方、生徒指導の姿勢)への不満の噴出。おさめるには教師の指導力の向上と豊かな人間性が大きな鍵です。
 「人間理解の深く豊かな教師になろう」と一緒に頑張ってきたのでした。
・上意下達の指導
 新たに赴任してきた先生たちの会話です。「転勤先は荒れで聞こえた中学校と言うことで心配してきたが、普通の学校と変わらないじゃないか」それで教師の権威をふりかざした上意下達の指導が展開されるようになりました。その指導ぶりの一例をあげてみます。
 地区の中体連の陸上競技大会は地元の競技場で開催されます。
 そのため私の学校からはブラスバンド部に競技役員の補助員としてたくさんの生徒が参加します。授業が困難なので、全校生徒が応援に出かけるのです。
 途中、国道を横断しなければなりません。国道と県道が交差する交差点です。そこに千名をこす生徒がつめかけました。3年生が先に出発し、続いてその後に2年が出たのです。出発の時刻をずらすとか、少し回って別の横断歩道をわたらせるとかの対応が必要でした。
 少し遅れて現場に到着した私は驚きました。南北に通ずる県道には南側にも北側にも延々と車が繋がっています。
 先生たちは早く渡らせようと「走れ・走れ・走らんかっ」と大声で叱咤しますが、生徒たちはわざとのようにゆっくりわたります。
 たまりかねた学年主任が手にしたメガホンで生徒の頭をたたき怒鳴りだしました。それでも走りません。衆人環視の中です。ぶざまな指導ぶりにこれ以上続けさせられません。信号が赤になるのを待って「学年主任さん。ご苦労さん。私にも協力させてくれませんか」と頼んでメガホンを借りました。
 縁石に上がり「2年4組と5組の皆さん、ずうっと詰めてくれませんか」生徒たちは素直につめてくれました。「皆さんにお願いします。南の方を見てください。あれだけの車に迷惑をかけています。次に信号が変わったら走って渡ってくれませんか。皆さんがそのお手本を示してください。」信号が変わりました。全員がダーッと走りました。私はメガホンで心から叫びました。「走ってくれて有難う」渡るのは2学級だけです。あとは車に譲ります。
 信号が赤に変わった時は2の6と7の生徒たちはずっと詰めて待っていました。ありがたいこと。そこでまたお礼です。
 「2の6と7の皆さん、詰めてくれて有難う」生徒達の顔が明るくほころびます。これでうつきり。「出しゃばってご免なさい」と学年主任に詫びてメガホンを返しました。
 出すぎた行為でしたが、このことがあってから学年主任の意識が変わり始めました。

 ▼教師のイジメ対策

 <深刻化するイジメ>
 いたずら、腕白は子供の世界ではいつの時代にもありました。だからこれらのことは人間形成の一過程と考え、ことさらに問題にはしなかったものです。しかし、当今のイジメの中には驚くほどの残酷なものや凶悪なものがあります。そのイジメに耐えかねて、毎年、何人もの生徒が自殺という形で絶え続けています。この訴えを私たちは、真剣に受け止め、再発防止に生かさなければなりません。懸命の訴えを無にしてはならないのです。
 
 <訴えに対する対応が手ぬるい>
 「イジメを子どもが親や教師に訴えるときは、その子は極限状態にあることを忘れない」
子どもの訴えに対して、「それほど深刻に苦しんでいるとは思わなかった」とか「そのうち何とかしようと思っていた」とか、いうのが多いですね。
“先生方”自分の子どもが、自分の弟や妹がこんなにいじめられたら、担任や学校にどんなにして欲しいかと考えてください。そうすれば、わが子が熱発して苦しんでいるのに、看病は明日にしようなんて悠長なことはできないはずです。
「学級は第2の家庭・学年担任は第2の親」なのですよ。

 <イジメの問題性>
1.集団で行われる。いじめる側は多数。イジメられる側は個人、または小数。このためいじめる側は行動を正当化します。そしてグループの安定を図ります。周りの子は自分の安全を図るため事実を知っていても知らぬふり、見ぬふりをします。
2・教師の意識 私の学級にはイジメはないと思い込んでいる教師が多いということです。廊下でイジメ的な行為を見ても「先生、冗談、冗談」といわれればそのまま通り過ぎてしまう。この場合、イジメられている子の「助けてくれ」という心の叫びは、教師に届いていません。
 
 <サインを見逃さない>
 いじめられている生徒にとっては、教師が気づいてくれぬもどかしさで不信感が強いです。
1 表情に生気がなく無口となる。
2 原因不明の擦り傷や内出血(打撲傷)がある。
3 欠席・遅刻・早退の理由がはっきりしない。
4 よく職員室前をうろうろしている。(便所に長く隠れたりしている)
5 服の背中や太ももの部分に土や靴跡が着いている。
6 授業中に奇声をあげたり、音をたてたりする(これはやらされている)

 <イジメの事実を掴んだら>
 最後まで指導しきる姿勢が大切。
 中途半端な指導では、被害者をますます孤立化させ窮地に追い込んでしまう。学級全体やイジメの核になっている生徒の指導のほかに、イジメられている子を支えてくれる勇気と正義感のある生徒を2から3名つけてやることです。
 これは同級生に限りません。近所の上級生など最適です。先生が頭を下げて真剣に頼み込めば必ず引き受けてくれます。その後の様子を見守り続けることです。
 順序が逆になりましたが、イジメを発見し、その事実を掴んだら解決のため厳然たる態度で、徹底した指導を続けなければなりません。
 ほとんどの学校が、また学年担任が一応の対処はするが、それで一件落着としています。その後の粘り強い指導がなければいじめがすぐおさまるものではありません。いじめが発生するような学級風を改新しなければいじめはなくならないのです。イジメが発生するような学級に担任がなしてしまったのです。
 イジメを支える学級風にメスを入れなければなりません。
 イジメの起こる学級は、強い子がのさばり、弱い子、おとなしい子は息をひそめています。弱い子の味方になり、常にかばってやり、強い子をたしなめ抑えることです。ものわかりのいい先生、甘い先生になってしまってはいけません。
 イジメや暴力に対しては、教師の人間的な怒りや悲しみを丸ごと生徒にぶつけて、毅然として闘う(絶対に許さない)という姿勢を示さなければなりません。
 以上でこの項は終わり、先に述べた「イジメられる子を支えてくれる者」をつけてやった事例をつぎに述べます。

 ▼思いつめた母親の来訪

 校長室で執務中「校長先生、お客様です」の職員の声で席を立って迎えに出ました。見知らぬ女性の緊張した顔が見られました。緊張をほぐすため、笑顔で招じ入れ、おだやかに用件を尋ねました。訥々(とつとつ)とした口調が、やがて堰を切ったような話し方に変わりました。要約すると、ひとりの息子がO小学校の6年生でひどい「イジメ」を受けている。4年生の2学期、福岡から転学した。話し方が違うということからイジメが始まった。担任の先生に相談したが少しも好転しなかった。
 5年生になって担任が替わり、この先生は親身に世話をしていただき全く問題はなかった。6年生になってまた担任が替わりまたイジメが始まった。
 再三担任に相談したが、真剣に取り上げてもらえず毎朝登校させるのに一苦労をしている。今朝は玄関に座り込んだままどうにもできなかった。
 うちの子は早熟で陰毛が生えはじめている。昨日は体育のため着替えていると、3人組から女子のいる前でパンツを引きずり下ろされたとのこと・・・・・・。
 「こんなことを許していいのですか?」悲憤の涙で訴えられました。
 武雄中学の校区には3つの小学校がありました。O小学校はそのひとつです。私は義憤に耐えかね声をおさえて尋ねました。
 「校長先生には相談されましたか」「1度はいたしました。しかし、担任の先生の手前、大分おさえてお話したせいでしょうか。『担任に話しておきましょう』とはいっていただいたのですが・・・・」
 そこで私はこれまでのイジメの仕打ちを聞き出し、3人組の名前を尋ね受話器を取りました。運良く小学校の校長に通じ、敏速な対処を頼むことができました。一方、母親には昼休みの時間に再度来てもらうことにしてその間に手を打ちました。いじめられる子の属する集落の担当教師に相談して気骨と体力を備えた2〜3年生を2人選びました。昼休みに選んだ生徒2人とその学級担任2人に集落担任を校長室に来てもらって、母親にイジメの実態を話してもらいました。2人の生徒達にはその後、私が頭を下げてA君の兄さん代わりになって欲しいと頼みました。2人は目を輝かせて引き受けてくれました。
 20日ほどたって母親が来訪されました。晴れ晴れとした顔で「学校の指導と2人のお兄さん役の出現でイジメは解消しました。今朝も元気よく『行ってきます』と飛び出しました」「2人の生徒さんを今週の土曜日に夕食に招いてお礼をいうことにしています」「校長先生のご恩は生涯忘れません」といって帰られました。
 そこで私は、鉛筆2ダースとノートを用意して昼休みを待ちました。
 2人の生徒はやや緊張した態度でした。A君の母親が来訪されたことと、とても感謝されていることを告げ、私のほうからもお礼をいうと緊張がとけて話しだしました。
 校長先生に頼まれた後、兄貴役をどのようにつとめるかを2人で相談した。まずA君と仲良くなること。その為には、休みの日にA君を誘って一緒に遊ぶこと。A君と仲良くしていることを、ほかの小学生に見せつけること。
 私はこれをねらっていたのですが、2人はあA君の家を訪問する度に歓待されて、それ以上のことをしてくれました。
 いじめっ子の一人は、同じ集落の子だったので、呼び出して厳しく注意をした。その子を通して後の2人にも圧力をかけている。
 「これからしたいことは3人に詫び状を書かせることです。」
 私は2人の手を握って改めてお礼をいいました。
 このことがあってから3年ほどたち、すっかり忘れている私の所に一冊の冊子が届きました。それは佐賀県教育委員会が出している「教育佐賀」でした。
 開いてみると前述のA君の母親Mさんの寄稿が掲載されています。驚きました。内容は私に関することでした

 ▼ある教育者のこと T市在住 主婦Mさん著

“T中学校には「いじめ追放委員会」と称する大変ユニークな委員会がある。生徒達の自主によって生まれたものだが、それは当時の校長、石丸三郎先生の言葉につくせぬ生徒達への慈愛と“いじめ”根絶への情熱が、子供達を大きく動かす「うねり」となって現れたものだった。
 石丸先生がT中学に校長としてお出でになった頃のT中学は荒れに荒れていて、雨の日は土足のまま職員室の前をズカズカ歩く、授業中に教室を抜け出す。教室の後部で授業中に車座になりトランプをする、と手のつけられない有様だったらしい。しかし、この子達が卒業式の日、「石丸先生、お世話になりました」と泣きながら花束を贈呈しお礼を述べた時の感動が父兄の間で話題になった。ここに至るまでのプロセスは想像に余りある。
 全九州PTA大会の帰路、バスの中での研修報告の折、会員のF氏に番が廻った時のことだった。F氏は「報告はすでに語りつくされたようなので、私は石丸前校長への忘れられない思い出話を・・・」と、いささか場違いの感じで語りだされた。
 「子供が柔道部におりまして、中体連を終え、その活躍と労をねぎらって校庭の隅で、焼肉大会をしてやったのです。その内に誰が話したでもなく石丸校長の話になりました。夏休みに数学の勉強会をしてもらって数学が面白くなったと話す子。毎日校庭のゴミ拾いを続けておられることの話から一人の生徒が思いがけないことを話し始めました。『校長先生はほんによか先生ばい。おいがわざと紙くずを捨てたぎ、だまって拾いんさったとばい。もう一回、捨てたぎにゃ、にこって笑うて、また拾いんさった。あんまい悪かこたされんて、思うたけんのを』と、しみじみといって、他の子みんなが、うん、うんとうなずく感じでした。私は胸がじいんとする程感動させられました。」PTAの役員の中でも大変地味なF氏の話に帰路の車内がシーンとなった。
 エピソードの一つ一つをあげればきりがない。
 夏休みも冬休みも、土曜日の午後もずっと、落ちこぼれて突っ張っている子たちの数学を見てやり、校内のゴミ拾いを日課とし、1年から3年までの各教室の授業を、ゆっくり見て回る。数学の授業には足を止めて遅れた生徒を見てやる。
 現在、年毎に登校拒否児が増え、原因は相も変わらず“いじめ”が大半を占めるという。石丸先生は“いじめ”に対しても「いじめは学校の責任です」ときっぱり断言され「許すまじ」の気迫でのぞまれる。
 その姿は、いじめられっ子や、その親たちにとって<神様>のように見えた。
 指導を受けられる先生方はきつかったと思う。私はわが子を通して、現在のいじめの正体をを経験した。真の痛みは体験したものしかとうていわかってもらえない。
 「昔もあった」とか、「いじめられる側に原因があるから」「たかがいじめ」となかば肯定的でさえあって、その壁は厚い。
 確かに、生半可なメスなら入れてくれないほうが有難い場合が多い。
 現在の“いじめ”の陰湿さは、たかがいじめの域をはるかに越えた深刻さであることを大人たちは解ろうとしない。渦中にある子にとって教室はオーバーでなく、精神的な拷問部屋であり、学ぶ権利は完全に奪われてしまう。
 「登校拒否」「非行」更には「死」へと追いつめられる。マスコミが一時的にわっと騒ぐ。原因が追究され死んだ子は哀しんでもらえる。ここまで進まないと背後をわかろうとしない。SOSをキャッチしても、救うには限りないエネルギーを必要とする。なるべくなら耐えて欲しいと、大人達は望んでしまう。
 石丸先生は逃げられなかった。その情熱は凄まじかった。
 私達親子も、どれほどの心の支えにさせていただいたかわからない。
 先生の気迫が校風となり、生徒達に「いじめ追放宣言」を決起させ「いじめ追放委員会」の設立へと発展した。石丸先生は太陽の慈愛で子供達を導かれた。意を受け継がれてか、お世話になった担任の先生方も、事ある時に、一生懸命心を傾けてくださった。私は“いじめ”を学校側の責任だけとは思っていない。取り巻く大人全体の責任で、学校は苦しみを受け止めてくれるだけでも有難い。私達親はその点で恵まれていた。育ちゆく過程で、心底から信頼できる師に出会えた子供は、その人生が変わる程に幸せではないだろうか。
 なにかしら世の中むやみと忙しくて、大人も子供も、誰かが泣いていないと自分が安心していられないところはないだろうか。“自分さえ良ければいい”のではなくて、まず大人が変わらなければ子どもの社会は変わらない。
 石丸先生が子供達を愛されるように、大人が子供達を愛せたら、世の中が変わる。”

 ▼いじめ追放委員と顧問教師2名

 全学年の全学級(30学級)から、いじめ追放委員として男女1名を選ぶ。選出の条件として、クラスで最も正義感と気力を備えた生徒。2名×30=60名委員長・副委員長に実行委員8名で本部を構成し、月1回の定例委員会を運営する。各クラスの委員2人は担任教師と協力して、学級内の人間関係に気を配り、支持的風土の和やかな学級風づくりに励む。定例委員会で学級の実状と努力点を報告する。特別な問題(いじめ)で、要請があれば当該クラスに本部役員10名が出向き即時いじめをやめるよう勧告する。

 ▼通知表

 F氏の中3の息子も“突っ張り”のひとりで、夏休みと毎週土曜日の勉強会に参加し、数学の力がぐんぐん伸びてきました。
 3学期になってK市の海員学校を志望しました。本人の希望で担任教師も、推薦入学の手続きをとりました。柔道部で体格も良く運動機能も優秀でした。ところが、2年と3年の教科評定の総合点が基準に1点足りないのです。それに加え、2年生の時の行動評価が思わしくありません。
 担任教師が思案にあまって相談にみえました。2年の数学の評定は「2」なのです。そこで私が校長として「特別の推薦状」を書きました。
 「2年の時は『突っ張り気味』であったが、今では推薦できる立派な生徒になっている。私がこの子の保証人になるから入学を許可していただきたい」お陰さまでこの子の入学は認められました。
 その年の3月末、私は地元の町長の度重なる要請で定年前に校長職を辞して、4月、地元の町の教育長になりました。
 同年の年末、ある日のこと、出張から帰った私に、職員が一通の封書を渡し、「F氏の来訪」があったと告げました。
 開いて驚きました。海員学校の通知表でした。
 立派な成績です。
 1学期は学年で3番、2学期は2番です。中でも数学の成績は抜群で1学期93点、2学期は95点でした。
 後に、この子はK大学に進みました。
【念願のインドネシア紀行】 石丸三郎先生著 編集Sherry@K&K MORI
つづく
000 第 1号から第 24号まで s61・4・30〜s63・3・3
001 第25号から第 48号まで s63・4・  〜h 2・3・1
002 第49号から第 72号まで h 2・4・ 5〜h 4・3・2
003 第73号から第 96号まで h 4・4・ 1〜h 6・3・1
004 第97号から第120号まで h 6・4・ 1〜h 8・3・1
005 第121号から第145号まで h 8・4・ 6〜h10・3・1
006 第146号から第169号まで h10・4・ 3〜h12・3・1
007 第170号から第175号まで h12・4・ 1〜h12・9・20

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